ストーリー

ビルエ=ルナスvs.メビウスゼロの息子

 ビルエ=ルナスのMPは最早0だった。
 ビルエ=ルナス―― ルナス神群の主神であり、そのブレスの威力は天地創造にも匹敵する暗黒神である。
 額に縦についた第三の眼はもはや渇いて空ろであり、大気中の微量マナを求めて呼吸は喘いでいる。白の剛毛に覆われた巨体は落ち着きなく上下し、6本生えた豪腕も、いまや重そうにうなだれるばかりだ。
 第三の眼の周辺から尻尾の先端にかけて、脊椎に沿って生えた鱗はところどころひび割れ、剥げ落ちている。
 右の白い眼球の中の黒い瞳と、左の黒の眼球に浮かぶ白の瞳とが、憎々しげに目の前の男を見ていた。
「さて――次は何の勝負にいたします?」
 ビルエ=ルナスの目の先でこの見るも恐ろしい異貌の魔神を恐れる風もなく嘲り笑っている相手は、少なくとも外見は華奢な青年にしか見えない。
「何の勝負……だと?」
 ビルエ=ルナスは歯軋りをする。MPの枯渇で自身の顎の圧力に耐え切れなくなった牙が二、三本零れ落ちる。
「何の勝負もない……もはやMPは尽きた」
 数千年前、善なる神々によって封印された邪神ビルエ=ルナスは、長い間の信者による儀式と祈り、さらにはそれを元手にした資産運用によって10億MPを貯め込んでいた。
 だが、封印を解くには100億近いMPを必要とする。
 ルナスはこの10億MPすべてを持ち込んで、彼――まだ幼さの残る、少年と言ってもいい顔つきの、シルクハットとスーツが似合っていない青年とMPを賭けて様々なギャンブルを行っていた。
 10億MP程度まで減退しているとはいえ、元来ルナスは50億ものMPによって作られた強大な邪神である。腕力やブレスの威力は言うに及ばず、推理や洞察力とて相当なものであった。にもかかわらず、挑むゲームことごとく、青年には手も足も出なかった。
「何、まだMPが尽きただけでしょう?」
と、青年はにこやかに笑いかける。その本心は別にせよ、底意地の悪さや鼠をもてあそぶ猫のような嗜虐心は、その表情からは窺えない。意地悪好きの友人、といった程度の邪気のない笑いだ。
「金のなくなったギャンブラーが指を賭ける――よくある話じゃないですか。しかし、あなたは指といっても数が多いですからね。腕にしましょうか。腕1本、10億MPの価値をつけます。あなたもこのまますべてのMPを失ってむざむざ帰れはしないでしょう?」
 当然帰れはしない。10億MPを集めるのに、数千の年月を要した。それがまた一からやりなおしだ、だが――。
「無論だ。だが、貴様に何の得がある?負ければMPを失い、勝っても得られるのは我が腕のみ――貴様には何の得もあるまい?」
「いや、こう見えても私も邪神のはしくれでしてね」
 含みを持たせて青年は言葉を切る。
「苦しみもがく姿を見るためにそれだけのMPを賭けるというのか――?」
「とんでもない、邪神として若輩の私め、そのような理由は想像だに及びませんでした。さすがは暗黒六神筆頭のビルエ=ルナス殿、底冷えするほどの邪悪ですな。私めは同じ邪神のよしみとして、できるだけのチャンスを与えよう、と思ったまでですよ。」


 勝負の方法はビルエ=ルナスに一任された。
 ルナスはこの時のために用意しておいた『煉獄』の扉を開いた。
 ルナス神界にある『地獄よりも陰惨な地獄』と呼ばれる異空間だ。ルナス神に捧げられた生贄はここに留められ、余りの苦しみに地獄に落ちるのを待ち望むと言われる。
 ルナスは亜空の闇の中から2つの塊を取り出す。1つは白く、よく目を凝らしてみれば、無限の苦悩に泣き啜る乙女の面影が見える。もう1つは黒で、怨嗟と憎悪を表情に漲らせた叫ぶ中年男の姿がかすかに見える。
「この煉獄には白と黒、2つの魂がひしめいている。その者の生前の性質が善か悪か、というところだ。互いに自分の色を決めて1つずつ魂を取り出し、それが自分の色なら勝ち。負けた方は10億MPを相手に支払い、なければ腕を1本渡す」
「知略や駆け引きといった要素はなさそうですね」
「その通りだ。我ももはや貴様に駆け引きで勝てるとは思っておらぬ。屈辱ではあるが、運に任せるのが最も優れた選択というわけだ」
 これもルナスの戦略である。万策尽きたことを印象付け、油断させる狙いだ。
「だが、これだけでは勝負としてあまりに味気ないのも事実だ。こうしよう。互いに白と黒5つの組み合わせからなる列を宣言し、その宣言通りの列が出たら、100億MPだ」
 青年がどれだけのMPを持ってきたのかはわからない。だが、これで青年の持ちMPが150億以下ならば、青年も腕を失うことになる。ルナスは青年の心を揺さぶりにかかった。
 狙いはもう一つある。
 100億MPは直撃すれば腕をすべて差し出しても払いきれないMPだ。順当に行けば足、尻尾、頭でもってその補填とするところだが、あくまで腕はもうない、と言い張ることもできる。そこの定義問題に関心を向けさせること。
 つまり、罠から目を逸らすための心理的な囮を二重に用意したのだ。
 口元に手を当てて考えていた青年は、ひとつ気にかかることがある、とビルエ=ルナスに申し出た。
「そのルールでかまいませんが、中の白と黒の配分を知らない私は不利ですね。一度だけ、待ったをかける権利をいただけませんか?」
 罠は既に喉元まで捉えている。始まってしまえば必勝だ。ルナスはすぐにもこれを許可してゲームを始めたかった。
 だが、純粋な運の勝負を装っている以上軽々しく認めるわけにはいかない。
「ならぬ! 煉獄の内側など我ももはや把握しておらぬ、これは対等な勝負なのだ……」
 建前上これはフラットな勝負であり、待ったを認めれば自分が不利な勝負ということになるはずなのだ。
 それを躊躇なく受け入れるということは、自分が有利な仕掛けを作っていると告白することになる。
 十分な苦渋を演じてから、ルナスは顔を上げた。
「……しかし、我が長い封印の間に自らの煉獄に捕らえた魂を忘れた、などとは信じられぬのも無理はない。元より、ないMPを腕で賭けさせてもらっているところでもある。受け入れるとしよう」
「無理を言って申し訳ありません。ところで、白と黒どちらを自分の勝ちの色とするかですが……」
 ここがルナスの勝負どころだった。最初に見せた黒の魂1つを除き、煉獄に捕らえられているのはすべて白だ。もはや黒の魂は中にはない。
 誘導して白を自分の色としなくてはならない。
 まず、適当に1つを取り出してその出た色を自分の色にする、と持ちかけ、青年が怪しんだところをでは黒を自分の色にすると主張し、そこでさらに譲って白を選ぶ、というのがルナスの筋書きだった。
 しかし、青年はこの複雑で危うい予定を一言で不要にしてくれた。
「私もだいぶ無理を言ってしまったようです。色はそちらで適当に決めてください。列もそちらから宣言していただいて結構ですよ」
「では、白を我、黒を汝の色としよう」
「なるほど、では『待った』を使わせてもらいましょう」
 亜空へと伸びたルナスの腕が止まった。
「私が白、あなたが黒で」


 本来、これはもっと余裕のある時に使うはずだった。
 ビルエ=ルナスであれば、煉獄から魂を選び出す時に、その色を黒に染めることができる。
 だが、それにはMPが必要だった。
「白白白白白」
 腕を4本失う。だが、最後には100億MPを得て、腕1本分を相殺し90億MP。それでも腕が2本は残るし、神々のかけた封印の解除にリーチがかかる。
「おや? これは何とも弱気な。完敗した時の保険ということですか?」
 さしたる悪意もなく、青年はルナスの神経を逆なでする。
「では、私は黒白白白白で」
 合理的な判断だ。一度でも黒が出れば、ルナスは絶対に勝てない。
 だが、ルナスには感心している余裕などなかった。これから始まるのはギャンブルなどではない。ただ腕を4本失って復活を得るという、筋書きの決まった長い苦難なのだ。
 MPがMAX時のルナスであれば、腕の一本くらい失ってもさしたる苦痛もなく再生できる。だが、MPが完全に尽きている今、その痛みを受け入れるにはかなりの覚悟が必要だ。


「残念ですね。最初のMPがたっぷりあった時にこの賭けをやっていたのなら、勝利に一歩近づいた、と言ったところだったのでしょうが」
 当然のこと、白である。
 煉獄から魂を取り出す手番は、青年に譲った。もはやどちらが引くかなど関係ない。
「そういえば、暗黒六神と言いましたね。腕一本ごとに、それぞれの邪神に奪っていただくとしましょうか」
 ルナスの表情に焦りが見えた。苦痛や恐怖を司る闇の神々の攻撃を受けるなど、MPが0の今、4本の腕を失う前に発狂やショック死する可能性すらある。
「ふざけるな! 腕を差し出すとは言ったがそのような余興につき合う義理はないぞ!」
「ルナス殿になくとも、ほかの邪神のみなさまにはどうでしょうね? 私が『ルナス神の腕1本に1億MPの値段をつける』と言ったら?」
 封印されていた残り5神が青年の下に群がった。


 噛み合わない歯車は、狂気と世界のあらゆる不条理を司るルナス神群の邪神である。
 その姿は小さいものは目にも見えず、大きなものとなれば星ほどもある巨大な歯車からなる機構であり、暗黒六神の中でも異質な、コミュニケーションの不可能な不気味な存在だ。
「私の住まう異界にも異次元4という、歪曲した空間に邪な顔の浮かんだ神がおりますが…・・・これは彼以上に不可思議な神だ」
 青年は不協和しながら回転する歯車の群れに目を凝らす。
 ビルエ=ルナスの腕は周囲の空間と交じり合い、ある部分は霊化し、独立した生命体になった場所もあれば、肉と骨が裏返っている場所もあった。
「しかし、これだけ不可思議な存在であってもMPには従う……まったく、MPは天下の回り物……」
「余裕をかましている場合か?」
 おかしそうに笑う青年にビルエ=ルナスは凄味を利かせる。
「払えるんだろうな、100億MP? 2本しかないお前の腕で、払いきれるのかな?」
「いやまったく、ギャンブルというのは恐ろしいものですな」


 当然次も白だった。
「私どもの世界にもアヌビスという死神がおりますが……アヌビスが隆々たる肉体の逞しい戦神なのに対し、ルナス神群のデス殿は何とも恐ろしい、不気味な死神ですな。次はその手腕を見せてもらいましょうか」
 デスの奮う大鎌でルナスの腕が切り落とされる。
 定命のものには見えぬアストラル体の腕がそこに残るが、それも鎌の放つ猛烈な死の瘴気によって燃え尽きた紙のように萎む。
 その瞬間、ルナスにひとつの閃きが走った。
 それが表情に表れるのを恐れ、膝をついて顔を伏せる。向こうからは激痛に耐え切れなくなったようにしか見えないはずだ。
「それにしても……ルナス殿の憎む善なる神々であれば、たとえ何十億MP積まれようとも、仲間に手など出さないのでしょうな。まったく、邪神とは因果なものです」
「一見勝ちを重ねているように見えるが……お前は死の階段をまた一歩上ったところだぞ」
 表情を無残な敗残者の強がる様子に整えてから、ルナスは顔を上げ、下からにらみ上げる。
「今なら、列の宣言を変更してもいいがな」
「それは妙な話ですな。今から変えるとなると、あり得るのは白しか入っていない、という可能性を考えて白白白白白ですか。同じ指定ではせっかくあなたの提案した逆転の要素がなくなるのみならず、あなたに何の得もない」
 ビルエ=ルナスは空笑いをする。
「なに、我もこう白ばかり出続けるものか不安になったものでな」
「なるほど、いや結構。私は既に待ったを使っていますからな。あまりにルナス殿に失礼というものでしょう」


 ルナスのMPは既に尽きていたが、デスの大鎌によって傷口から流れ込んできた死と暗黒のエネルギーを使えば、魂を1つ黒に染めることはできる。
 次の自分の番に黒を引くことは可能だ。
 それだけではない、先ほどから青年は煉獄のほぼ入り口の辺りを探っているだけだ。煉獄の構造を熟知しているルナスにはそれがわかる。
 うまく口車に乗せれば、入り口付近の魂を1つ黒にして、煉獄の扉を渡すこともできた。それで都合よく黒を引いてくれれば、腕を4本残すこともできたのだ。
 だが、乗ってこなかった以上、白を耐えるしかない。
 次にルナスに一撃を加えたのは復讐と絶望の神アディスペンジャヴだった。
 既に暗黒神三柱もの攻撃を受け、ルナスの耐久力は限界だった。


 それでもルナスは不敵に笑う。
「いいのか? 3連続で白だ。もしかしたら、白しか入っていなかったのかもしれないな――今なら、列の宣言を変えてもいいんだぞ」
 あと一本腕を失えば、もはや5つ目の魂を取り出す前に死んでしまいかねなかった。何とかここで、黒を取り出す権利をとりつけたかった。
「いえいえ、これこそがギャンブルというもの。不利になればなるほど、胸が高鳴るようですよ」
 しかし、青年はまるで動じなかった。


 ……黒……
 亜空へと手を伸ばすビルエ=ルナスの意識に黒への欲求が強烈にまとわりつく。
 ――黒だ……
 それが破滅の決定打であるとわかっていても、考える事をやめられない。
 ――黒を引けば、10億得られる。10億を得れば、次の白を相殺できる――
 だがそれは束の間の安寧でしかない。それで乗り切ったところで、ゲームは続くのだ。


 しかし、暗黒神三柱の攻撃による激烈な苦痛は、ルナスの精神を朦朧とさせていた。絶望の神が腕に加えた攻撃が、体を伝って精神にまで影響を及ぼしてもいた。
 次に取り出した魂は、黒だった。


 ビルエ=ルナスには自分が何をしたのかわからなかった。
 本能的に黒の魂を求めてはいた。
 しかしそれを認識した上で、白を取らなくては生き延びる術はないと理性で抑えていた。白を取ろうとしていたはずだった。しかし、にも関わらず黒に染めてしまった。
「いや、勝負はわからないものですな」
 気前よく10億MPを放る青年。
 だが、もはやこれで勝ちの目は完全に消えた。


――いや、まだだ。魂を黒に染めるくらい、たいしたMPは必要としない。このMPで入り口付近の魂をすべて黒に染めれば――
 それに気づいた時には、煉獄への扉は既に青年の手にあった。
 アディスペンジャヴの一撃によって加えられた”絶望”はルナスの正しい状況認識を奪っていたのだ。
「ま……待て!」
 虚空へと手を差し入れていた青年に、ビルエ=ルナスは必死で待ったをかけた。
「どうしました?」
「待て……落ち着け。それを引いたら、もう変えられないぞ」
「変える……とは?」
「列の宣言だ。今なら、まだ変えてもいいんだぞ」
 何事にも動じず、すべてを手のひらの上で支配していたかに見えた青年は、はじめて虚を憑かれた顔を見せた。
「し、白白白白白とかに」


 しばらくの間、静寂が空間を覆った。
「フフ……」
 口の片側を上げた青年の含み笑いがそれを破った。
「フフ、ハハハハハ! まさかそう来るとは! ルナスさん、なかなかユーモアがおありだ」
 常に気取ったポーズを崩さなかった青年が、腹を抱えて笑っている。
「いや、こんなに楽しい冗談を聞いたのは初めてです。気に入りました」
 ビルエ=ルナスの腕が元に戻っていた。それだけではない、第三の眼は機能を回復し、ひび割れた鱗も潤いを取り戻し、腕には力が漲っていた。
「いいでしょう、差し上げましょう、90億MP。それだけあれば、外側から力を貸せば封印を解くこともできるはずです。その代わり、多少私のために働いてもらいますがね」
「目的……?」
「さらなるMPです。何、あなたはあなたで善なる神々相手に戦争をしかけるもよし、好きにしていてくれればいい。ただ、たまにMPを得るのを手伝って欲しいのです」
「100億で足りないのか?いったいどれだけ……」
「300京ほど必要ですね」
 小さい世界であれば、10億MPもあれば作れる。それどころか、300京など多元宇宙のMPすべてを絞りつくしても届くかわからぬ量だ。
「何が望みだ? 全宇宙の完全破壊でも望むのか?」
「いえいえ、もっとささやかな、かわいい願いのためですよ」
 青年の眼に宿った、凄惨とも言える光にビルエ=ルナスは一瞬恐れすら抱く。
「異次元皇帝メビウスゼロ――『時』を操る邪神である、私の父を復活させるには、それだけのMPが必要なのです」

niv作